”古代ローマ(こだいローマ、羅: Roma antiqua)は、イタリア半島中部に位置した多部族からなる、都市国家から始まり、領土を拡大して地中海世界の全域を支配する世界帝国までになった国家の総称である。 ”
紀元前753年ー476年(諸説あり)
西ローマ帝国と東ローマ帝国に分かれたことがあるが、
当時の人たちの認識では一つのローマの西方領土・東方領土という認識だったらしい。
東ローマにはビザンツ帝国もしくはビザンティン帝国という別名があった。
多宗教国家であった。信仰の自由については
313年のコンスタンティノープル1世(当時は西方西帝)によるミラノ勅令を参照 。
392年には、テオドシウス1世によってキリスト教はローマ帝国の国教とされた。
王政の時代、共和制の時代、帝政の時代と様々な制度の変遷をして
ながく地中海地方を支配したが、領土が広大なため遠方地への
通信手段が乏しく次第に分裂・衰退していった。
歴史が長いだけあって混み入っている。
バチカンとかはいつごろできたんだろう。
”326年にコンスタンティヌス1世によって聖ペトロの墓所とされたこの地に最初の教会堂が建てられた。
”だそうな。国家ではないけれど重要な土地ではあったらしい。
日本では神仏習合が行われたけれど、ヨーロッパでは多神教から一神教への転換
というダイナミックな事象が起きていて、当時の人はどう反応したのか
気になるところ。 帝政という権威が一点に集中した制度だからこそその転換が
可能だったのかもしれない。
コンスタンティヌス1世のキリスト教優遇のあとに、元に宗教政策を戻したユリアヌス帝は背教者の形容詞がつけられて背教者ユリアヌスといわれてかわいそうかもー 古くからしたらコンスタンティヌス1世のほうが背教者なんだけどーーw 宗教はめんどー おいら苦手ーゲロゲロー
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