1864年生まれのドイツの社会学者、政治学者等
とても裕福な家庭に生まれ、知的に早熟であったとされる。
12歳でマキャベリの「君主論」を読んだ。
「職業としての学問」「職業としての政治」を書いた人。
著作で様々な社会学における概念を創出した。
であるべきというところを考えると。
官僚制という閉鎖された集団運営について、
内閣という政治的リーダーの集まりが支配権を発揮して
影響を与えるということの合理性がどうなのだろう。
官僚という集団は放っておけば、価値基準や職能を内製化
してしまうという欠点がある。
問題は、その内製化された価値基準が国民の最大多数の幸福に
準じているのかという点だ。
官僚に選挙はない。個人に対する上司の評価と職能意識がすべてだ。
内閣にも選挙がないじゃないかという指摘もあるが、
委任の連鎖という概念があって、 政治家に投票するという
意思決定が内閣をも選んでいるということである。
投票しない人は、投票する多数の人に権利を委任しているのである。
あるいは投票する人もメディアやインフルエンサーから委任されて
多数派という概念に飲まれているのかもしれない。
ある一定の思想を持つ集団によって構成されたのが多数派だ。
それが宗教的合理性であるのか、民主主義的合理性であるのかは問わない。
4:4:2で2しかない集団が全体をグリップ(把握)するということもあるが、
日本は大多数が日和見主義者で、多数派につくという習性をもつので、
実際は2:2:6程度の比率じゃなかろうか。
これが、先ほどの多数派への委任という概念と合わせて考えると
選挙に行って投票する人が全体の4割で6割が委任しているということだ。
100万人から信託を受けて政治家になれるほどのインフルエンサーに
なりてえな…このブログを続けていればなれるのだろうか?
発信するのは良いが、もっと精度が上がって有用であるべきである。
カリスマによってリーダーシップで世の中を変革する人、どこかにいないかな。
『職業としての政治』は読んだことがある! 先輩は読んだのかなー!
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