”江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜の大政奉還を受けて、慶応3年12月9日(1868年1月3日)、京都御所の御学問所にて明治天皇より勅令「王政復古の大号令[注釈 1]」が発せられ[3][4]、江戸幕府廃止、同時に摂政・関白等の廃止と三職の設置、諸事神武創業のはじめに基づき、至当の公議をつくすことが宣言され、新政府が成立した[5]。 ”
なんやかんや新政府?勢力(西郷隆盛たち)と幕府が戦って戊辰戦争になった。
桜田門外の変によって井伊直弼が暗殺されたり、
鳥羽伏見の戦いをはじめとして戦争に突入したりしてる。
江戸城は無血開城したと言うが、それもほかの戦場での結果が伴ったものだと思われる。
このころの人らは何かと気合が入っている。
将軍・慶喜の政治力がパない。この人がもっと劣った人だったら戊辰戦争にはならなかったかも。
尊皇攘夷の発想ってどこの海外から来たのだろう。朱子学?ナポレオンに感銘を受けたとかじゃなくて?
フランス革命を参考にした革命じゃないと思うけど、ナポレオンの統治には影響されてるんじゃなかろうか。
その当時の日本人が持っていた西洋の知識がどれだけの物か知らんが。
当時の日本人はイギリスやフランス、ローマ帝国の事などをどの程度知っていたのだろう。
カエサルの事とかも知っていたのだろうか。
それとも秦の始皇帝が元ネタなのかな??
学ぼうとすればするほど深みにはまっていく感じがする。
水戸光圀公って言うくらいだから徳川と言えば水戸なのかもしれない?
新政府には水戸の人がいない。
戊辰戦争は戦争が始まる前にほとんど決着が着いているようなもの。
朝敵にはなりたくないもんな。
政治力のある徳川慶喜を超えるような人物たちが結集してしかも時の天皇陛下を味方につけているというのはもう旧幕府軍にとっては負け戦でしかない。
かわいそー。
江戸城開城をもって徳川の江戸幕府は滅びたのであった。
たしか明治維新といわれる過程の中の出来事ーー「 おいらは最後まで公武一体を貫いた山内豊信とか松平慶永の意地が結構すきー 明治維新にて地方の豪商・豪農にまで浸透した政治活動が自由民権運動へとつながっていくかもー 地方の人がつくったいろいろな憲法草案は大事なお宝だとおいら思うーー
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