”ポツダム宣言(ポツダムせんげん、英: Potsdam Declaration)は、1945年(昭和20年)7月26日にイギリス、 アメリカ合衆国、中華民国の政府首脳の連名において日本に対して発された全13か条で構成される宣言。正式名称は、日本への降伏要求の最終宣言(にほんへのこうふくようきゅうのさいしゅうせんげん、Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender)。”
海外の結束はヤルタ会談でほぼほぼ決まっていたらしい。(国際連盟は何してたんだろう)
強いリーダーシップを持つ複数の国によって停戦を含む降伏の要求という意味は
画期的かもしれない。っていうかヤルタ会談のメンバー仲良さげすぎだろ
敵を前にしたら結束が固まりやすかったのだろうか。
なぜ署名に中華民国が入っているかは世界史の謎。ABCD包囲網から続く謎。
いわゆるアメぽちってこのころの中華民国の事じゃね。
強い同盟を結べば戦争確率は減るという理論は正しい。
まあ、国連成立後のこの世界では戦争自体が禁止なんですけどね。
大量破壊兵器保有疑惑を向けて派兵したりは良いんですか!!アメリカさん!!
ルーズベルトもなんか私怨で日本を嫌ってないか。
少数のリーダーの意思決定によって世界の趨勢が極まってしまうのだった。
国家はでかくなるし軍事力もでかくて使いにくくなったので、
容易には戦争を起こせない世界になった。
(ウクライナを観ながら)
なぜ国連加盟が中華民国じゃなくて毛沢東の方の中国なのかも謎。
8月14日の降伏によって第二次世界大戦は終わり、日本は敗戦国になったのだった。
その後の東京裁判や明治憲法からの憲法改正はGHQ統治下に行われた
日本国の主権の存さない戦勝国の敗戦国への押し付け政策が横行したとのこと。
戦後日本は解釈改憲という新たな世界を切り開き、硬性憲法、軟性憲法に寄らない政府運営が可能となったのだった。まる。
それなら国民投票で決めた方がずっと健全だよねって案が出ているらしい。(どこから?)
日本はアメリカのように猟官制でも大統領制でもないのだから、
政治の意思決定にかかわれる直接投票の機会というのが 少ないと思う。
天皇陛下のご存在に触れざるを得ないから国家元首の議論をしたがらないのは
仕方がないのだろうか?
核兵器保有の議論も同じようにできないらしいけど。
日本の意思決定機関は戦後一貫して軟弱と言わざるを得ない。
大化の改新や王政復古の時のような人事が有能な人間に渡される仕組みにはならんのだろうか。
大量の資金と人事権を官僚と一部の政治家が握っている限り、
健全な意思決定機関というのが日本に存在できないと思われる。
民主主義というのは、何をするにしてもとても労力と時間を要する仕組みだ。
それでもインターネットがある世界では自由な発信ができるのだから、
我々は幸福なのかもしれない。(それも戦争によって開発されたものだが)
以上、ちょっと長くなったけど、ポツダム宣言の記事でした。
ポツダム宣言を最初は無視していたけどソ連参戦とか原子爆弾の投下で受諾をしたはずーー ポツダム宣言にのっとりポツダム命令といわれる緊急勅令をたくさん発令して戦後日本の間接統治をしたけど米ソの冷戦の影響によりポツダム宣言の内容からズレることとなって現在の日本に至るーーー「 中国は西欧列強と日本の事実上の半従属国だったけど、宣戦布告しなかった日本と全面的な戦争状態に突入したのだから、日本が負けた以上戦勝国の一員となったので降伏勧告のポツダム宣言に名前を連ねのは当然となったはずー 日本は中国にも負けたと認識されているのが英米仏露(ソ)中では通例のはずーー
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