”応仁の乱(おうにんのらん)は、室町時代中期の応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1477年)までの約11年に及んで継続した内乱。 ”
”幕府勢力が東西に分かれて争う戦乱に発展、さらに各々の領国にも争いが拡大する大乱となった。 ”
足利家が将軍になる室町幕府の時代。
義教はくじ引きで決まってしまった将軍として有名(6代目将軍)。
継承の方法が厳格じゃないためお家騒動に発展して内輪もめしてた。
権力者っていつもそうですよね!周りの事なんか考えずに!!
一方で商人や農民も 力をつけていた。国人?しらんね。
東西に分かれて戦争してたけど、将軍・義政の隠居をきっかけに和睦した。
”12月19日(1474年1月7日)には義政が義尚に将軍職を譲って隠居した”
”この戦乱は延べ数十万の兵士が都に集結し、11年にも渡って戦闘が続いた。しかし惰性的に争いを続けてきた挙句、勝敗のつかないまま終わった。主だった将が戦死することもなく、戦後罪に問われる守護もなかった。西軍の最大勢力であった大内政弘も富子へ賄賂を贈り、守護職を安堵されていた[61]。 ”
ワイロ!!
守護と地頭の守護がその後の戦国大名へとなっていくのだった。
日本最大の内乱!--- 1467年応仁の乱勃発の覚え方は人の世むなし応仁の乱ーーーーーーー!
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