”東ローマ帝国の首都であったコンスタンティノポリス(コンスタンディヌーポリ、コンスタンティノープル)の旧名ビュザンティオン(ビュザンティウム、ビザンチウム)を語源とする東ローマ帝国およびその文物を指す”
”なお、「ビザンティン」「ビザンツ」のいずれも後代に用いられるようになった用語であり、東ローマ帝国時代から用いられていた呼称ではない。 ”
”一般的には西暦395年以降の東の皇帝の統治領域を指す”
1453年にオスマン帝国の侵攻により終了する。
ローマ略奪 (546年)によって滅びたという説もある。
”7世紀になると、サーサーン朝にエジプトやシリアといった穀倉地帯を奪われるにまで至った(サーサーン朝のエジプト征服)。”
戦争や重税、食料品の高騰や軍隊の不備によってローマは滅びたとしてみたら、
現代においても重要な示唆を含むと思われる。
戦争によって食料品の値段が上がっていたということは、
その食料は市場原理が働いていたということなのかな。
ともあれ、ローマ略奪によって元老院と市民というローマの枠組みが
破壊されて コンスタンティノープル を首都とした東ローマ帝国が始まったのである。
(330年建設以後、1453年まで難攻不落だった。)
コンスタンティノープルは現在のトルコの首都イスタンブールの前進である。
なぜか十字軍に狙われて衰退する。謎。
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返信削除謎が謎をよぶーーーw
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